〈自分の心のコップの水の扱い〉
 日本は戦後の復興を遂げ、日本独自の美しさを育ててきました。
 「おもてなし」という言葉が流行ることがありましたが、常に常に他者への配慮を気にしすぎるあまり、本来は自分の潜在意識にすぐにアクセスできる状態でしたが、その方法さえも忘れることで、自分を知らない、からこそ、他者からもらった価値観で過ごしていればそれでいいんだ、間違いがないんだ、と思うことで不具合が沢山生まれてきました。そして自分の心のコップの水を自分の力で満たすことが難しくなりました。「他人軸」の教育が行われてきた、ということです。

〈明治時代における日本の取り組み〉
 明治時代には、家制度という日本で初めての家族制度が制定され、家父長制という考え方が家庭の中に置かれました。家庭の中で上下関係を作ることを法律により義務付け。それをヒトの心にはグラデーションがある中、上手に扱うことが難しい人間にはとても残酷な話でした。当時、日本全体で特に女性に対し行われた “男尊女卑” の考え方・実践の徹底的な教育は、今でもネットにある文献として残っているものがあります。また当時既にあった儒教の考え方度重なる戦争で、一律全体思想が作られ、後に強固なものとなりました。

 戦後の復興から日本独自の美しさを極めていく背景と、その一方で、人は○○しなければならない、○○すべき、ちゃんと、という数えればキリがない、べきねば思想が日本人の個性を奪っていきました。 

 家族もそれぞれが役割を担い、

「男は外で働き収入を得、女は家を守り家事育児は女の仕事」
 その役割が果たせないと “しつけ” と称して理不尽を受けなければならない。

「男は泣いてはいけない」
 泣くことは感情の昇華を促し次のSTEPに行ける人間として生きる上で大切な感情まで押し殺す必要がある。

「女はその場を和ます花となるべき」
 女性軽視の発想であるにもかかわらず、良いことのように洗脳される。

「子どもは父母の教えを守るべき」
 こどもの個性を尊重されない “こどもの欲求や愛着形成を蔑ろにする” 社会通念。

 そのこども観から、

 こどもや女性に対する “上に立つ” とされる男性の支配欲を満たすような行ないもあり、明治時代から続く差別や偏見による「障害者隔離」も行われてきました。私の叔父も隔離を余儀なくされていました。女性の社会進出や女性を大切にという意識が高まってきても、 “上に立つ” 人が男性か女性かという違いだけで、暴力の考え方は無くなることはありませんでした。

 そのような固定概念が強固なものとなり、沢山の「○○すべき」発想が、多様性が叫ばれるつい最近になっても、根強く残ってしまっているために、多様性の意味を十分に理解することなくマイノリティマジョリティの区別のような差別が未だに行われているように感じます。また、その「他人軸」で作られたべきねば思想が多くの日本人を支配し、抑圧を原因とする精神疾患や依存症、戦争に至るまでの社会問題を引き起こしていると言っても過言ではありません。それは、現代の加害者教育の中で顕著に見られることです。

 本当は、それぞれ同じ人はいないし、それぞれに多様性があるというのに、自分の多様性に対する理解がないのは、心を大切にする文化を育てて来なかった、そして他人軸に生きなければならない社会の中で、自分の心を知る機会さえ減っていったからこそと思います。