暴力と愛情の境界線を引けますか

 人は、無自覚のまま、暴力と愛情の境界線を自ら引くことが難しい人がいます。
 それは、決して少ない人数ではないことは、日本の社会問題の多さ、それは随分昔から存在していて、一向に減る気配もないところからも見ることができます。物事には、原因と結果があることはどんな問題でも言えることです。それは、100%完璧な人などいない人間が織りなすものだからです。それは一体どんな状態で、どこからきて、どうなっていくのか、家庭内暴力の中で見ていきましょう。

暴力の存在、加害者の存在

 これまでの歴史的背景の中で暴力という言葉や加害者という言葉が、いつ生まれたのでしょう。
 日本は法律の中でこれまで、特に家庭内での加害者としての立ち位置を決めていませんでした。それは、家庭内では愛情という関わり方で健やかに育まれ合うことが家族の在り方で、それ以外の関わり方は無いとされてきたからです。だから「法は家庭に入らず」という規定があるのです。家族以外の社会の中で「暴力」という言葉は存在していたものの、家庭内で明確にされることは長くありませんでした。

 殴る蹴る、物理的な破壊が「暴力」であり、精神的暴力は「暴力」ではなく、精神的暴力がどんなに心理的に甚大な影響を及ぼすとしても「心の問題」が大切に扱われることはなく、被害者はどんなに苦しくとも諦めることを強いられてきました。だからこそ心に生まれた「感情」も無かったことにすることが、日本人はとても得意です。長い間、「我慢」することが「美徳」とされてきたのは、そういうところからもご理解いただけると思います。

 「加害者」という言葉も実は古い言葉ではないようです。
 被害者が耐えかねて「声を上げる」ようになったのもつい最近のことと思います。被害者としての立ち位置が少しずつ認められるようになって初めて、「加害者」という言葉がクローズアップされるようになり使われるようになってきました。

 このことを考えた時、家庭の中での配偶者に対するDVや虐待(面前DV含む)が、家庭の外に向けば「犯罪」となるところを、家庭内ではペナルティーもないからこそ、容認されてきた、と言えるのではないでしょうか。

家庭内DV・虐待が容認されてきた理由

 家庭内でのDV・虐待が容認されてきたのには、理由があります。

 明治時代にさかのぼります。その時代に日本は「家制度」という初めての家族制度を作りました。

家制度(いえせいど)とは、1898年(明治31年)に制定された明治憲法下の民法において規定された日本の家族制度であり、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度である。この規定が効力を有していたのは、1898年7月16日から1947年5月2日までの48年9か月半ほどの期間であった。(引用:Wikipedia)

 そこに、家父長制という家族の形態を置きました。

家父長制(かふちょうせい、ドイツ語: Patriarchat、英語: patriarchy)は、家長権(家族と家族員に対する統率権)が、女性である家母長にではなく 男性たる家父長に集中している家族の形態。

家父長制はパターナリズム (paternalism) ともいわれる。父と子の関係にしばしば見られるような、他者の利益を名目に他者の行動に強制的に干渉できるとする考え方のこと。「父権制」と訳されることもある。古代ローマに典型を見出すことができる。

家父長制の根源は男性優位の視点にあり、男性による女性や子供を支配しようという倫理観から、家や家族をなす前の男女の倫理的関係を一般化して表すのに、比喩的に用いられもする。

父親が小さな子供のために、よかれと思って子供の意向をあまり聞かずに意思決定することから来ている。父子関係以外にも、医師などが、患者の健康を理由に患者の治療方針を一方的に決めるような場合も家父長制の例に挙げられる。(引用:Wikipedia)

 こういった家族制度を作ることで、家長である男性が、家の秩序を守るために権力を独占し、男性は「女性から何かしら奉仕を受ける権利がある」という不文律があります。 それが現代社会にも根強く残っていることは、誰もが知るところであり、現在の家族制度にもかなり影響していることは日本人誰もが一旦考えなければいけないことと思います。

 この上下関係を上手に扱えるような100%完璧な人間などいるわけもなく、勘違いでしかないのにもかかわらず「権力」があると思い込み、支配をしようとします。この考え方があるからこそ、この家族制度の中での子どもは、一番下という位置づけであり、そこから人権さえも守られない子どもが多く存在することはこの時代になっても明らかです。
 また、法律にそれが組み込まれていたので、DV・虐待となる暴力となったとしても自分の行動は妻への、また子どもへの「当たり前/当然」の対応である、という思い込みが生じています。「無自覚」であるが故に、それは愛情でありしつけである、という自信さえ溢れています。

 しかしながら、現代に至っては、女性が家庭の中で権力を持つ場合も多く、上下関係の意識で作られるこの「暴力の考え方」は、性差はないと言えましょう。その理由は明らかです。

暴力の責任の所在

 この日本には、そういった「暴力の考え方」が存在するために、暴力の責任の所在がどこにあるのか、誰にあるのか、を判定する時に、暴力は加害側に100%の責任があり、その所在が明らかであるにもかかわらず、「この人も悪いけど、あなたも悪いよね」というような「喧嘩両成敗」という考え方を、長らく大切にしています。それがあるためにきちんと解決ができない状態があります。だからこそ、日本の社会問題は無くならない、ことは明確です。

暴力の責任とは

 暴力の責任をとる、とはどういうことでしょうか。

 一つには、謝罪する・賠償責任を負う、ということ。
 「悪いことをしたら謝る」というのは当たり前のことであり、子どもにも伝えることも必要なことです。しかしながら、謝罪の気持ちを持つ、賠償責任を負わなければいけない自覚を持つ、ことは、難しい場合があります。この辺も明確ではありますが、後ほど触れていきます。

 もう一つは、説明責任(アカウンタビリティ)を負うということ。
 自分がどういうことをして、相手方にどういう被害を与え、どんな気持ちにさせ、自分はどう思って、どう償っていくのか、それをしっかりと被害者の言葉を用いて、自分の責任の説明として言語化したものを公言する、ということです。そこで初めて被害者の気持ちややった事の重大さがわかるという人も少なくありません。

 最後の一つは、再発防止
 再発防止のためにできることは、心理教育の中の加害者としての教育を受けるということです。そこで、
①暴力とは何か、愛情とは何か、暴力と愛情の境界線が自ら引けないところの、自分がなぜ暴力を選択しているのか。
②自分の想いを伝えるための手段として暴力を選択しているが、それは「愛情の表現」に代えることができ、そうすることで自分の想いは想像以上に気持ちよく伝わっていくこと。
③それは、子ども時代の関わられ方に起因していることを一つ一つ自覚すること。
 これらを学びます。そして「べきねばちゃんと」を外す作業を丁寧にし、それは他者には伝えるべきではないことを知ります。最後に自らの言葉で「再発防止に努めます」と宣言していただきます。

大切なことは
反省ではなく、責任を負うということ。「自分はダメな人間なんだ」の意識を持たせることは、再発防止にはなりません。逆です。

暴力の定義となるもの

 殴る蹴るだけではない暴力の定義づけをすることは、教育となる他解決に繋がります。
 下記は、男性から女性へのDVの例です。細かく詳細が他にあります。これは、女性から男性へのDVとしても、子どもへの虐待としても応用できるものです。グループワークの中でシェアし合い、気持ちを共有していきます。

 

暴 力

 暴力とは、「一方的で配慮のない姿」を言います。
①威嚇
②精神的暴力
③孤立させる
④矮小化・否認・責任転嫁する
⑤子どもを利用する
⑥男性の特権を振りかざす
⑦経済的暴力
⑧強制・脅迫

愛 情

 非暴力=愛情とは、お互いの安心安全に配慮する姿
①威嚇的でない態度
②尊敬
③信頼と支援
④誠実さと説明責任
⑤親としての責任
⑥責任の分かち合い
⑦経済的なパートナーシップ
⑧交渉と公平性

加害者教育は

 加害者教育は、効果があるかどうかではなく、日本人の義務として、そしてこれまで放置した国の責任としてやっていくべきことです。それだけ、特に家庭内での暴力は重大なものである認識が必要です。
 今日は家庭内暴力について全体像をざっくりとお伝えしましたが、これだけ多くの社会問題があり、いつまでも被害者の安心安全が保障されない事実は、一人ひとりがしっかりと受け止めなければなりません。どれだけ時間がかかることとしても継続してやっていくことを必要なことと認識しなければいけない時期に来ました。加害者の立場が守られ、被害者が逃げるおかしな社会は、変えていく必要がありませんか。親としての責務として教育を受けること、自分で考えていく力をつけること、必要ではありませんか。これまで通り少子化問題も若年層の孤立問題も、そのままであることは言うまでもありません。本日も研鑽の場に参加し、心理職としての気持ちを新たにしました。

 本当に社会問題を無くしたいですか?私は無くしたいです。
 被害者が本当に安心安全な社会、こどもも大人も生きやすい社会を目指したいです。これまで目を向けてこなかった「人の心を大切にするとはどういうことか」ここから対策を考えていくことは、喫緊の課題ではないでしょうか。

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