🔷暴力は無自覚
🔷日本の子ども観の誤り
 ①子ども観と家族の在り方
 ②法律
🔷不適切な環境の中で育てられた”子ども”
*愛着障害
*暴力と愛情の境界線
*心と身体の歪み
 ①水分摂取
 ②呼吸
 ③過緊張
🔷まとめ -心理教育が必要な理由-

🔷暴力は無自覚

 べきねばちゃんとでガチガチに固められた正義で、他者を支配しようとする、行き過ぎた愛情、しつけ
自覚のないままに行われるには、やはり理由がある。
 幼少期に見えるもの、心に響くものから、べきねばちゃんとが子どもの心に作られていく。それは、親も子もそれが暴力であるか愛情であるかの認識が曖昧な状態に気づかないまま自分の価値観となっていることから、表現されること。
多くの大きな社会問題が無くならないことから、また沢山の方とお話しする中で、グラデーションがあるにせよ、日本人の8割方は 抱えている問題と認識しています。

🔷日本の子ども観の誤り

べきねばちゃんとを他者に強要していくことで、社会的には問題になる。はず。実際には問題にならない理由はそこかしこにある。

子どもの存在や家族の在り方について誤った認識による多くの人からの対応
①子ども観と家族の在り方
 元々日本人はそのような資質があったかもしれないが、家制家父長制の頃から徐々に強固なものになってきている。家長とは、から始まり、男は、女は、子どもは。ガチガチの上下関係を持ち込んだ。現代においては主従関係は人権侵害を生みやすいという考え方も出てきているが、与えられた役割をうまく果たせなければ折檻。何事にもグラデーションがあるにせよ、多くの家庭でしつけとして行われてきている。子どもは常に一番下という位置づけで、奴隷のように勘違いをしてしまうことも引き出す原因となっている。

②法律
 子どもは一律に育てなければならない、日本人は一律以上の能力を求められるという全体主義の法律がどの分野にも存在すること。親権を持つ者が監護権を与えられ、しつけに背けば子に懲罰することを容認している。当然子どもは監視カメラ付きの生活と親の意に反すれば懲罰という環境に生きることを強いられる。


 言い方は乱暴だけれども、この軍隊を育てる、若しくはもっと言えば牢獄にいる犯罪者のような扱いとも言えるような環境。これはそれを行う機能不全家族の親だけに責任の所在があるとは到底言い切れない。

 日本全体の人の心理がこのように複雑ななっているからこそ、当たり前のように虐待が行われ死に至らしめても刑が軽いことに、そこに疑問を持ったりおかしいと声を上げることが難しい。
 このことから、是非家庭の問題、閉鎖的な問題と考えるのではなく、日本全体の課題であるとして扱っていただきたい。

 

🔷不適切な環境の中で育てられた"子ども"

*愛着障害

 精神的な断絶の中で、心のやり取りが十分でないところでは、愛着関係の構築がほぼ皆無と言って良い。
 愛着形成は、子どもにとって必要不可欠であり、特定の人と心のやり取りをすることで、他者との温かく築く信頼関係の結び方を会得する。その関係性の中で、マズローの欲求5段階説の4段階が満たされ、最終的な自己実現が自分の力で達成される。マズローは4段階のどれか一つでも満たされないと、自己実現は不可能と言う。いわゆる愛着形成の失敗が起きた状態であり、グラデーションを持ちながらの愛着障害の形となる。

*暴力と愛情の境界線

【暴力であるのにも関わらず、例えばそれを愛情やしつけと言い切りながら子育て】することは、子どもの心理から見るとどうだろう。

暴力しか目の前で起きない
温かい関わりは感じることがない

時には温かい関わりをしたとしても常に暴力を見たり受けたりという中でそれを受け取るベースとなるマインドを整得ることが難しい、といった中で
暴力への認識
愛情への認識
が非常に曖昧となることは考えられないだろうか。

曖昧だからこそ、暴力と愛情の境界線を自ら引くことができないとなった時に
《このぐらいは暴力とは言わない》
という認識で、無駄に暴力を受け入れたり、逆に暴力を振るう、ということは十分に想定できる。

その辺りに、私が被虐の後成人しても様々なハラスメントを受け続け、子育ての中では強い態度に出ることもあった理由が理解できる。
自分の中の加害性被害性に気づき、その根っこを解決するまで、生きづらさとして覆い被さってくる。
生涯、その立ち位置からの自分から、緩やかになったとしても逃れることはできない心のしくみがある。

*心と体の歪み

精神的な断絶の中では、自分の心や体のケアが必要であることは、理由とともに知らされない。知らされても受け取るベースが既に無いこともある。これを自己責任とするのはやめたい。

①水分摂取
食事の時に「喉に詰まるから」という理由で一杯だけお茶を飲むのみであることも多い。
自分の体のケアとしての水分摂取についての知識は親自身になく、物理的な部分での「喉に詰まるから」飲む一杯。勢いよく飲むと吸収されにくいことも知る術もない。

②呼吸
呼吸もまた体を作るための必要不可欠な要素ではあるが、そのようなレベルの知識の共有も難しい環境である他、問題なのは、子どもが恐怖のために息を潜め気配を消すというスキルを自ら身につけていくこと。
目につくだけで何かしらの悪い影響があると感じれば、生活の中で息を潜めるのは、人の自然な心理の流れ。
必然的に無意識に浅い呼吸、時には息を止めている。

③過緊張
生活の中で強い緊張状態にある場合には、その状態は子ども時代にずっとであることが多いため、無自覚のまま浅い呼吸と共に過緊張に移行していくこともある。精神的な過緊張=身体の過緊張。

①水分摂取、②呼吸、③過緊張が重なることで、体のあちこちの不調が現れ、死に直結することも否定できない。

 

🔷まとめ -心理教育が必要な理由-

 このような不適切な環境の中で育てられた子どもが、暴力と愛情の境界線を自ら引くことができない状態で、多くの社会問題を作っている、その数は無くなる気配がない、とすれば、これまでの大切な取り組みと共に、日本全体の心理教育を行い、こぼれた人には個別で教育とカウンセリングを丁寧にしていくことは、この時代に必要不可欠と考えます。心理教育は決して簡単なことではありません。日本中の “暴力とは何か” の部分から解決を試みている心理職の助けが必要です。

 様々な社会問題の解決に、これまで国として心理から取り組むことがありませんでした。日本人が「心」というものを大切にすることがなかったから、とみることもおかしくはないと思います。海外では、精神疾患あるなしにかかわらず、人生の伴走者として時々軸の修正をするために存在しているけれども、日本は、精神疾患になったときにしか心理職に頼らない風習があります。

 しかしながら、人間は完璧には作られてはおらず、時には間違いを犯すこともあるし、それは自覚がないまま行っていることもあり、ひとりで生きるには誰もが頼りない存在だということ自体を、どの年齢層であっても自覚せざるを得ません。例えば犯罪は、やった側に100%責任の所在があります。でも、刑務所に入ったら改心できると考えるのは非常に短絡的ではないでしょうか。本当に誰もが、被害者が、出所後の犯罪者が、暴力を知らない一般の方々が、安心して暮らせる世の中とは何か、どうしたら作れるのか、ニュースに上がる大きな事件が立て続けに起こり無くならない事実を見ながら、是非考えていただければと思っています。私は現場を見た当事者、有資格者として、児童心理、発達心理、犯罪者心理を研究し、そこから発言しています。

 海外であっても人が生きる社会で様々な問題が起きている。でも人生の伴走者として心理職を隣に置き、時には意見を聴きながら軸を修正しています。人は常に亡くなるまで成長発達し続ける生き物です。時にはその時に相性の合う心理職に変えていくことも必要ですが、例えば人生のどこかで孤立孤独に悩み命を絶つことや、逆に誰かの命を奪うという哀しい事件もこれを日本でも取り入れることで減っていくと信じています。

心理からならその原因と解決策を提示することができるからこその提案です。