暴力と愛情の境界線

 きちんと認識しているようで、難しいようだと心理職として見ています。「これぐらいは暴力とは言わない」「お前のためを思って」が社会の中で「当たり前」となっています。個性が大切にされる風の時代がやってくると言われるようになっても、そのように暴力を正当化したり、よかれや謙遜も古き良き時代からの流れとなっています。
 古き良き。これはその昔家制家父長制があったころから、上下関係の意識が強化されるようになったのではと考えます。

 これは認知のゆがみがあるためですが、格下の相手を支配することは暴力ではない、教育であるという考え方が、未だに多くの人の心にあります。あるとあらゆるコミュニティの中で、この「暴力の考え方」を持った人が必ず存在します。このことと上下関係の意識が強化されていること、それから虐待が世代間伝達していること、その日本人の中でまるで軍隊を教育するかのような教育に関する法律ができていること等、強くリンクしています。

―――抑圧によるストレス―――
 人は、抑圧されるとストレスを感じます。そのストレスをどこかで何かの方法で吐き出すことで、それまでの精神状態にまた戻る、を繰り返し、精神を保つように作られています。

 抑圧は、これまで日本人が作ってきた「暴力の考え方」を表現したもののすべてが相互リンクし、強烈な環境の中で作られます。

 人はその抑圧を、自らの細胞全体で感じ取り命に危険があると察した時に、自分の命を守るために「こうであらねば」「こうすべき」が自分の中で強くなります。ただこれは命を守るためのスキルですので、全く自覚が持てないのが普通です。障害、特に知的障害があれば尚更です。
 命を守るためのスキル。例えば虐待サバイバーのほとんどが身に着けています。

―――暴力に至る原因―――
 例えば犯罪者も、命を守るためのスキルを身につけなければ生きて来れなかった人たちですが、命を守るスキルを身につけた、いわゆる特定の人との愛着形成がなされなかった、若しくは構築途中、または構築されたものを破壊された状態、になっています。

≪愛着形成≫
 愛着とは、特定の人との応答的な関わりの中で、愛情のやり取りで信頼関係って何?から信頼関係の構築の仕方まで身につけていく、心の結びつきのことです
。それがしっかりと構築されると、安心安全な場所に生きていることを、子どもが身をもって確信した後、外に出ても色んな関わりのなかで信頼関係を結んでいくことができる、素晴らしい心理のしくみの一つです。

 これが叶わない子どもも非常に沢山いるわけですが、叶わなかった場合には、愛着障害と呼ばれます。受けた心の傷の度合いが強ければ強いほど、高齢になるまで生きづらさを抱えて生きることとなります。
 (これについては、一番の核となる「児童虐待」のテーマでお詳しく伝えします。)

≪自 殺≫
 日本のみならず、全世界で犯罪は一向に減る気配がありません。幸福度指数は世界でも日本は最低ラインを維持しています。日本の若者の死因の1位は「自殺」年間2万人以上の若者が自殺をします。

≪虐待死≫
 日本小児科学会のデータでは、少し古いデータでも年間350人以上の子どもが虐待により命を落としています。一日約一人の子どもが、今日も日本のどこかで痛ましい姿で発見される、という数字です。

≪ひきこもり人口≫
 若年層だけでも約70万人と言われています。

 実際にはその何倍もの人たちが、その裏で苦しんでいるわけですが、この数字は今後の日本が衰退していくことを表していると言っても過言ではありません。

 暴力と愛情の境界線があいまいであることでの大きな問題は、無自覚のまま暴力を受け入れたり、相手に暴力を振るってしまう、ということ。自らの命でさえも、大切に思えない。自らの尊厳を感じられない。自分を大事にできないということは、他者をも大切にする考え方や方法をそもそも知らない。それを多過ぎる国のデータが表しています。

 その奥に何があるか
 「暴力の考え方」が潜在意識の中にあり、その人の特性により殴る蹴る、般若のお面のような表情、脅すようなしぐさ、考えそのものを言葉でぶつけたりするのです。

 嘘、無視、否定非難、格下として奴隷にする、論点ずらし、相手の価値観の決めつけ、自分の価値観の押し付け、等々・・・
 これにより暴力を受ける人は混乱し、支配をやむなく受けるようになります。洗脳です。これはどうしても弱者に向けたくなるから、子どもや障害者、高齢者などはその対象になることも多いですよね。

 暴力をする人と暴力の影響を受ける人がいて、これを明確に分けることも、今の日本は得意ではないことは、人の心理の当たり前の流れを心理職として見れば、当たり前のことではありますが、気づいた私が現状維持でこれを放っておく = 私もまた人の命を軽視していることになります。

 果たしてそれでいいのか。くもらない目で見ている子どもたちが、それをどんな想いで受け取って、どのように後世に繋げていくのか。双方に自覚のない価値観の伝達ほど怖いことはありません。それを考えると、今、大人が用意できることをすぐにでも提示しなければなりません。

 ごめんね。大人は間違っていたと。
 大人が将来の日本を託したいと思っている君たちが、生きやすい人生を選択して歩き、しっかりと恥ずかしくない日本を支えることができるように、これからは本当の意味で裏切るようなことはしないよ、と約束しませんか。

 私たち大人は、言い訳している暇はありません。

 これまで長い長い間、日本人は綺麗さ美しさばかりを見て、人の心を大切にする文化をどこかに置き忘れてきています。美しさを感じることは悪いことではないし、大切なことではあります。ですが、それよりその前に人の心を大切にし合う文化を大切に感じていきませんか。美しさを感じる心がより一層深くなる、そう思いませんか。

 加害したら罪を償うべきですし、誰に非難されても逃げる余地はありません。

 加害者に罪を償わせることも大切ですが、どうしても再犯し続けてしまう、ことも問題です。そこへの教育。加害者が腑に落ちる心理教育を取り入れてください。
 また被害者にも、暴力とは何か、また受け入れないためにどうすれば良いのか、という部分にも必要です。

 殴る蹴るだけではない「暴力」が、どれほど相手の心理に大きな影響を与えるのか、また加害をするその心に、本当は相手に関係のない、どれだけの自覚のない苦しみが備わっているか、その想像力を忘れたままということは、繰り返すようですが日本の衰退に繋がると言っても過言ではないでしょう。一刻も早く、取り組む必要があるのは明らかです。


 だからこその、暴力をする人と暴力の影響を受ける人に限ることなく傍観者にもなってしまう国民一人ひとりがすべて等しく、「暴力を選択しない」フラットな心理状態で「愛情を選択する」それによって自らの尊厳をしっかり獲得し、生きやすい人生を自らの意思で歩む、ということを学ぶ 心理教育の機会を。